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2006年を振り返って 人生で一番忙しい一年だったかもしれない。遠征という夢を追い続けて23年が過ぎた。クラブも結成して19年が過ぎた。その間に何回仕事を変わっただろうか。思い出に残る仕事の中に「西表島の稲刈り」がある。沖縄に住んで釣りばかりしているときに、ある人が「そんなに釣りが好きなら、僕の両親が西表島で農業をやっているから、稲刈りの手伝いをすれば寝るのも食べるのもただで、毎日夕方になったら釣りに行けるよ」と言ってきた。それを聞いた俺は「西表島で釣りが出来る!」と大喜びで引き受けた。お手伝いは2週間の予定で真夏の7月に西表島に入った。炎天下の下での稲刈りだった。とんでもなく暑かった。魔法瓶に冷えた麦茶を入れて田んぼに行くのだが、その麦茶が滅茶苦茶美味かった。刈った稲は牛車に積んで運ぶのだが、今度は水牛が夏バテで動かない。鞭を入れて、ロープを力いっぱい引っ張って、ようやく農家にたどり着いた。今度は機械で精米して袋に詰める。一俵が52キロあった。それを倉庫に高く積んでいく。一日が終わるとヘトヘトで釣りに行く元気はなかった。 翌朝は農協のトラックが集荷に来る。52キロの俵をトラックに積み込む。大変な仕事である。隣近所もすべてお年寄りばかりなので、積み込みを手伝わされる。一日百俵以上も積んだ。もうヘトヘトである。毎日釣りなど行く元気はなかった。それでも一日だけお休みの日があって、親父さんと釣りに出かけた。親父さんは釣り竿を使ったことがないという。貸して上げるとコトヒキやチヌが釣れた。凄く面白いと喜んでいた。その喜ぶ顔が印象的だった。親父さんが聞いてきた「この竿はいくらするのか」俺「15000円だよ」というと親父さんは「高くて買えないな」とガッカリした様子だった。 約束の2週間が過ぎた。明日は帰るという夕食のときに親父さんが金一封を差し出した。俺「そんなのいらないよ。お金をもらいに来たのじゃないから」と断った。でも親父さんが何度も差し出すので「じゃ親父さんにこの竿を上げるよ」と言って竿と交換した。親父さんは凄く喜んでいた。
部屋に戻って金一封を開けると3000円が入っていた。金額などどうでも良かった。親父さんが感謝してくれていたのが嬉しかった。仕事も途中で投げ出さず最後まで頑張りぬいたし。 |
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2007年1月12日 |
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2006年の思い出写真集をアップしました。 |