第二の故郷「茨城」
12年ぶりにお世話になった茨城の会社「岩瀬光学」に挨拶にいってきた。お礼に奄美産のカンパチなどを持って。

実はグルーパーボーイズはこの会社に在籍しているときに結成した。1988年に入社して1989年に1回目のコスタリカに行き、2回目は1990年で社長と一緒に行った。旅費から何から何まで全部社長が出してくれた。コスタリカではフライにも挑戦して船べりまでセイルを寄せた(惜しくもフックアウト)。ジギングではいろんな魚を釣った。

この会社では毎日8時間以上残業をやっていた。そして毎月のように休みをいただいて遠征をしていた。今日俺がこうして釣り業界で働けるのもこの会社のおかげと思っている。
社長はもともと釣りが大好きで、最近は八丈島にも毎年行っているらしい。訪問したときは午前10時半に初孫が生まれたばかりだが、すぐに病院から会社に戻ってきてくれた。第一声は「GT釣ったぞ!」だった。大きさはともかくとして社長からGTという言葉が出たことが嬉しかった。ちなみに八丈島で餌つりです。

クラブ結成時は3人しかメンバーがいなくて、2名は会社の人の名前を借りて5人で登録した。そしていまでも日向さんはクラブに在籍している。19年目になる最古参の人です。
下の写真は左から日向さん、社長、俺、菊池さん(クラブ結成時在籍)

2時間近く昔の話題で盛り上がり、近いうちに社長と釣りをする約束をして別れた。

そのあとは当時行きつけだったWILD−1水戸店に行った。

ここには鈴木斉君がいる。鈴木君は高校生のときにクラブに入会、今年で在籍18年になる。今ではシーバスの世界では第一人者と言われるまでに成長した。もちろんジギングもGTも実績は凄い。俺は昔から鈴木君のことを「天才」と呼んでいる。

そして店内を見渡すと俺の懐かしい写真や魚拓がいっぱい飾ってあった。もう茨城を離れて12年も経つのに。すごく嬉しかったよ。
これは1996年6月に釣ったカンパチ50キロの魚拓。

同じく50キロの写真。

これは1995年に釣ったイソマグロ。右は永井誠一副会長と45キロのキハダである。
他にも鈴木君やお客さんの写真が所狭しと飾ってあった。

水戸店で少しだけ買い物をして、結成当時副会長だった大場さんの会社を訪問した。今ではルアーはほとんどやらなくなり、もっぱら餌つりばかりだけど、マイボートを持っていて大洗沖に頻繁に釣りに行ってるとのこと。遠征は11年連続久米島に行って40キロクラスは3匹釣ったそうである。
そしてなんとグルーパーのトレーナーを着て仕事をしていた。大場さん「まさか茂木さんが来るとはビックリしたよ」

茨城にいた当時は大変お世話になった。俺より2ヶ月年配で、貧乏な俺に「車買うのはもったいないから、うちの代車に乗っていればいいよ」と言われて2年間代車に乗っていた。
大場さんはいまでもグルーパーに所属している。ルアーを全然やらなくなったのに、続けてくれるのは嬉しい。いつまでもグルーパーでいたいと言っていた。

オフィスにはたくさんの釣り道具と魚拓、大物写真が飾ってあった。

12年ぶりだけど、訪れてすごく良かった。人は1人では生きていけない。支えてくれた人がいたから今がある。お世話になった人の恩は一生忘れてはならない。

そう痛感した1日だった。

2007年3月28日